副業もできる公務員「地域おこし協力隊」に密着!

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こんにちは。サイドラインズのアンリです。

みなさんは「地域おこし協力隊」という制度をご存じでしょうか?
「地域おこし協力隊」とは、人口減少や高齢化などが進行する地方に、地域外の人材が3年間移り住み、地域活性化のために活動をしていく制度です。
「地方」に注目が集まる今日。名前は聞いたことがあるけれど、実際どんな業務をしているのかについては知らない方も多いと思います。

そこで今回は、長野県佐久市の地域おこし協力隊に所属しながら、副業としてフリーペーパーの発行にも携わっていらっしゃる、「石田諒」さんに、地域おこし協力隊とはどんなものなのかについてと、副業として発行しているフリーペーパーに携わるようになるまでの経緯をインタビューしました。

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長野県佐久市の地域おこし協力隊「石田諒」さん

長野県佐久市「地域おこし協力隊」所属。石田諒さんの経歴

1986年9月17日東京都世田谷区生まれ。
高校卒業後、日本工学院専門学校放送芸術科に進学。
映像に関する技術者養成学校のなか、芸術色の強いショートムービーコース(当時)に惹かれ、迷うことなく所属。
コースの実習では、企画立案から脚本・撮影・編集までほぼ1人で担当しながら、ミュージックビデオやドキュメンタリー、短編ドラマなどのディレクションを学びました。

2年間の専門学校生活を経てキー局のテレビ制作会社に入社、映像編集の部署に配属されます。
その会社では日常的に芸能人と出会えるような刺激的な世界でしたが、体力勝負の労働環境に耐えかね3ヶ月で退職。
同時に専門学校時代の同期の紹介で小さなケーブルテレビ局に転職しました。

1年程映像に関わる仕事をした後、マーケティング関連会社にパート職員として転職。ビジネス資料専門図書館の事務やレファレンス業務を担当しました。

2008年から2009年にかけて、リーマンショックや親の急死など、社会的にも家庭的にも大きな変化を経験した石田さん。自分の人生についてじっくり考える時期が訪れました。

「仕事を続けながら映像作品をつくっていたのですが、創作力という点で自分の知識量不足を痛いほど感じました。なんというか、自分には教養がないなあ、と思いましたね。どうにかして幅広い教養を身に付けたら、日々の漠然とした閉塞感から抜け出せるんじゃないかな、って。」

そう考えた石田さんは、教養を身に付ける方法として大学進学を決意します。
当時23歳でした。

善は急げと早速予備校の入学手続きを済ませ、受験勉強を開始。中学1年の範囲から勉強をやり直してから半年後、法政大学文学部日本文学科に見事合格。

大学では文芸創作や評論を専門的に学ぶゼミに所属。サークル活動では法政大学アナウンス研究会の会長を務めるなど、年下の現役学生以上によく学び、そしてよく遊びました。

「せっかく苦労して入った大学、おとなしく普通に卒業するなんてもったいない。」

そう考えた石田さんは、自ら卒業を保留し1年間の休学を決断。休学中は他の学部の授業を聴講したり、教授を訪ねて一緒に食事に行ったり、図書館の本を全部読もうと挑戦したり(これは3日間で断念したそう)、休学中にも関わらず充実した大学生活を送りました。

「教授や講師の先生たちとっても社会人経験のある学生はめずらしかったようで、1人の大人として対等に接してもらえたような気がします。貴重な経験でした。社会人から大学に入って、年齢差のあるコミュニティに属したことで度胸がついたと思います。未知の環境に飛び込む勇気とコミュニケーションスキルは、いまの地域おこし協力隊の仕事にも副業にも大いに役立っています。」

そう語る石田さんが5年間の大学生活を終え後に選んだ進路は、長野県佐久市での「地域おこし協力隊」という道でした。

「地域おこし協力隊」にはやりたいことが詰まっていた

就職活動中のある日、パソコンが壊れたためAppleストア銀座に持ち込んだ石田さん。その帰り、何の気なく銀座NAGANO(長野県のアンテナショップ)の移住就労案内窓口に足を運びました。

職員の方に紹介された「地域おこし協力隊」の募集要項を見て、石田さんは「あ!これだ!」と応募を即決。

そこには、石田さんのやりたいことが詰まっていたのです。

当時、地方創生や地域ブランディング、自治体のPR動画などがネットで流行っていたこともあり、映像作品の創作や動画編集ができる人材の募集が多くありました。

「僕は欲張りなので、動画や映像などの知識や技術を生かせる仕事をしたかったし、文章を書いたり写真を撮ったりもやってみたったし、博物館学芸員のような仕事もしたかった」
と考えていた石田さんがその時に目にした求人が、長野県佐久市の「地域おこし協力隊」。

その募集要項が、広告・PRの仕事と文化施設職員を混ぜたような募集内容だったこともあり、
「ここならやりたいことが全部できるかもしれない」
と直感的に感じました。

田舎暮らしをしたいと思って協力隊になったわけではなく、仕事内容に対する興味で応募を決断した石田さん。
「佐久市は、新幹線も通っているので田舎過ぎず都会過ぎず、僕にはちょうどいい場所」
と思ったことも決断した要因の1つだったそうです。

暗中模索の毎日。「その地に暮らす=仕事」

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多津衛民芸館・展示品整理の様子

「佐久市地域おこし協力隊」に無事就任した石田さんは、地域のNPO団体主導の事業に参画したり、まちのイベントやお祭りを手伝ったりと、精力的に業務をスタートしました。

民芸館の展示即売会や会員向けの映画会の上映係、喫茶店の店員、農作業の手伝い、会議や会合への出席など、業務はさまざま。

その中でも印象に残っている仕事が、就任してすぐ担当した民藝の全国大会の仕事でした。焼き物や漆、木工品、暮らしの道具を愛する作家や教授が一同に集まり講演会を開催。講演の模様を冊子にするために、約14時間分の録音テープを4ヶ月かけて文字に起こしました。

石田さんは当時
「これじゃ地域おこし協力隊じゃなくて文字おこし協力隊だ」
と半ば自虐的に周りの人たちに話していたのだとか。

地域おこし協力隊の仕事はそれだけに留まらず、同時進行で地域でのイベントやマルシェの準備や運営などもしなければならず、寝る間も惜しんで作業を必要とするほどの忙しさでした。

そうかと思えば、1日中農家の人と話している日があったり、地域の人が休日に集まってボランティアで行うお祭りの準備もなども業務の一貫として参加していました。

これらの経験を通して石田さんの仕事に対するイメージは、いい意味でも悪い意味でも壊されます。

一般的な仕事とは違う「その土地に暮らす=仕事」という働き方。

仕事とプライベートの線引きがなく、勤務終了後も自治会の会合や地域団体の会議があり、休みの日は近所の人の家にご飯を食べに行ったり、挨拶まわりとしてイベントに足を運んだりする多忙な毎日。

いわば365日24時間仕事のようなものでしたが、慣れていくうちに石田さんの価値観も変化していきます。

普通に暮らしていたら絶対に関わらないような仙人みたいな住人に会えたり、さまざまな立場や業種の人と幅広く知りあえることは「地域おこし協力隊」であるからこそ。

毎日新しい人と話したり、各種イベント等に顔を出しているとフットワークが軽くなり、人脈もどんどん広がっていきます。

移住する前に抱いていた田舎に対する偏見や抵抗も、地域の空気を身をもって実感することで、だんだんと無くなっていきました。

地域おこし協力隊を通じた巡り会い

石田さんが副業を始めたきっかけは、「地域おこし協力隊」の業務をする中で出会った、ある人物でした。

「比田井天来・小琴顕彰 佐久全国臨書展」という書道の全国大会に実行委員として参加した石田さん。

審査会には多くのスタッフが参加しており、その中のに現在石田さんも編集部員として活動しているフリーペーパー「Patapata」の発起人となる菊原さんがいました。

初めての出会いから何ヶ月か経ち、今度は別のイベントで菊原さんと再会。頻繁に一緒に食事に行く関係にもなりました。

ある日石田さんは、菊原さんから
「フリーペーパーを創刊するにあたって、ぜひ石田くんのチカラを貸してほしい」
との依頼を受けます。

それまで雑誌の出版や取材に、関わったことはなかった石田さんでしたが、日頃からSNSにあげていた写真や映像、文章が菊原さんの目に止まったのでした。

石田さんは、カメラマン兼ライターとして、未経験ながらフリーペーパーの発行に携わることになりました。

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フリーペーパー「Patapata」

「Patapata」は、東信州の農業と食を応援するフリーマガジン。

発起人でもあり編集長をつとめるのは、南相木村出身の菊原さん。料理人として地元を離れていましたが、Uターンして再確認した地元の食の豊かさや水と空気の美味しさを発信していこうと考え、Patapataの発刊を決意しました。

地域のことをあまり知らない人や家庭で料理をする主婦、進学や就職で地元を離れてしまうことの多い若い世代に、自分たちが生まれ育った土地の魅力や価値を再確認してもらえるようなマガジンを目指しています。

条件を満たせば副業はOK

自治体によって異なりますが「地域おこし協力隊」の副業は、佐久市の場合、条件を守ることができれば副業は認められています。

その条件は2つ。

1つ目は、本業に影響が出ないこと。
佐久市では協力隊としての勤務時間を週に29時間としており。副業はこの時間の外で行う必要があります。

2つ目は、公序良俗に反しないもの。
地域おこし協力隊も公務員であるため、規律的な生活が求められます。

副業を始めるときは、仕事場所、仕事内容、時間帯などを申請書に記載して提出します。

「多才で器用な人」というイメージがついた

副業を始める前と始めた後では、石田さんの仕事内容にも変化が生じてきました。

周りの人たちから「多才で器用な人」というイメージを持たれたことで、パンフレット作成や文章構成、広告コピー、SNSの発信の仕方などついて教えて欲しいといった仕事の依頼が来るようになりました。

また、これまで経験の無かった雑誌作りや取材なども、やってみれば時間的にも技術的にもなんとかなることも分かったそうで、地域おこし協力隊の任期終了後も「Patapata」はもちろんのこと、ライター業や情報発信サポートの仕事も視野に入れていきたいと考えるようになりました。

「副業を始めれば当然、忙しくなる。限られた時間で多くの業務こなす必要にせまられるので、スケジュール管理や仕事のすすめかたを見直す良いきっかけとなった」
と石田さんは語ります。

副業を両立させるコツは徹底的なスケジュール管理

毎日多忙に動き回る石田さん。
そんな石田さんが副業との両立をできる理由は「徹底的なスケジュール管理」にありました。

本業の「地域おこし協力隊」の勤務時間は週あたり29時間。制度上、残業代はつかないので超過分は代休で調節するしかありません。

仮に前週に39時間勤務していたら、今週の勤務時間は29時間から10時間ぶん差し引いた19時間になる。そんなやりくりをして副業と本業の時間をこまめに調節をしているそうです。

「仕事とプライベートの境い目が曖昧なので、定時という概念はあるものの、勤務時間が思いのほか長くなることもあります。だからこそ『地域おこし協力隊』のフレキシブルな制度をうまく使うことで自由度を高められるように意識しています。」
と語る石田さん。

「地域おこし協力隊」の特性を有効活用することで、自分のスケジュールを上手に管理できるというメリットを十分に生かしているようです。

地域おこし協力隊の任期は、最大3年間と決まっています。

石田さんの任期終了は2019年3月末。活動期間は残すところあと1年となりました。

記事の後半では、活動範囲や視野を広げるために大切なことや任期終了後に思い描く仕事とは何なのか。についてレポートします。

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