サイドラインズ|副業ウェブマガジン

「好きなことで生きていく」に囚われて「好き」の奴隷になるな

「好きなことで生きていく」に囚われて「好き」の奴隷になるな

こんにちは。サイドラインズの信夫です。

YouTubeの「好きなことで生きていく」っていうメッセージが始めて登場したのは2014年でした。それ以来、自分の好きなことでお金を稼いでいく人にスポットライトが多く当たるようになってきました。YouTubeやニコニコ動画で動画配信をしている人、ブログを書いて生きている人、仮想通貨で投機をしている人、アフィリエイトで生きている人。単純にお金を稼ぐ手段が増えてきたこともありますが、個人の発信力がどんどん高っていくことで、様々な人の生き方が多くの人の目にとまるようになりました。子供のあこがれの職業にはYouTuberがランクインするようにもなりました。

僕自身もメルマガを運用していて、個人の発信力がどんどん高まる時代を実感しています。それがお金に換わることもありますし、好きなことで生きていく事自体はそれはそれで素敵なことだと思います。ただその「好きなことで生きていく」を都合の良い受け取り方をしてしまうと、自分の選択肢を狭め、苦しい状況に陥る可能性もあります。

今回はこの「好きなことで生きていく」というメッセージの本質について少し個人の見解を書いていきたいと思います。

好きなことで生きていく時代=個人の発信力が強い時代

好きなことで生きていける背景は、個人の発信力が強化されたことが非常に大きな要因になっています。メールマガジンやtwitter、Facebook、オンラインサロン、YouTubeなどの動画メディアは、個人の発信力を大きく高めました。今まで芸能人でしか出来なかったような露出が、一般の人でも出来るようになったのです。発信する情報も多種多様になり、テレビなどのマスメディアで発信されないような情報も発信されています。過激な情報とか、センシティブな情報はもちろん、個人の考えや作品、そして嘘のニュースなども含め誰もが好きな情報を手軽に発信できて、かつそれが多くの人の目に留まる時代になりました。誰もが「人を集めるツール」を持てる時代になったのです。

人が集まるところには価値があります。そこで広告を出したり、そこでモノを売ったりすることで、収入を得ることが出来ます。今まで人が集まる所と言えばテレビでした。企業はそこに広告をだしたり通販番組を流したりしてモノを売ります。

好きなことで生きている人の多くは、「人を集めるツール」を独自に持って、そこで広告収入や自分の商品を売ることで収入を得ています。

収入を得る選択肢や、好きなことを
マネタイズする手段は確実に増えている

個人が情報発信力を高められる時代になって、収入を得る選択肢は確実に増えています。今も昔も「出来ること」と「求められていること」が重なる部分に価値が生まれます。そこに仕事が生まれて、それをできる人が収入を得ています。それはこれからも変わることはありませんが、個人の発信力が高まって、好きなことで人を集めることが「出来ること」になったため、結果的に好きなことで収入を得ることが出来るようになっています。

「好きなことで生きていく」=「嫌なことをしない」ではない

傍から見ていると「好きなことで生きていく」人たちは、好きなことだけして生きているように見えるかもしれませんが、決してそんなことはありません。「しんどいこと」や「嫌なこと」を減らしたいと思っているかもしれませんし、実際に会社で正社員として働いていて感じるような「しんどいこと」や「嫌なこと」は経験していないかもしれませんが、「しんどいこと」「大変なこと」「やりたくないこと」自体は消えずに確実に存在していて、それをひっくるめてなお「好きなこと」をして収入を得ているのです。

「好きなことをしていく」ということは「嫌いなことをしない」ではないのです。「好きなことで生きていくために嫌いなことも何らかの形で消化している」人たちがYouTuberであり、SNSやブログのインフルエンサーだったり、好きなことで生きている人たちなのです。この「嫌なことを消化する」という点に関しては後で詳述します。

「好きなことで生きていくには、出来ることを増やす必要がある

「好きなことで生きていく」というメッセージはとっても強力です。そしてそれを体現している人を見るとなお、メッセージの強烈さが増します。youtuberは毎日好きなことをして動画にして配信しているように見えるかもしれません。嫌いなことをしている様子は、それが求められてなければ絶対に見せません。

なので中には、好きなことで生きている人達の活動の上澄みの部分を見て「好きなことだけで生きていけるんだ!」「嫌なことは止めよう!仕事はしなくてもいい!」と都合の良い受け取り方をしてしまっている人もいます。

ですが好きなことで生きている人たちは仕事をしていないわけではありません。好きなことを仕事にしているだけです。「出来ること」と「求められていること」の重なる部分で生きていることに変わりはないのです。好きなことで人を集めることが出来るので、それを仕事にしているのです。

出来ることが少なくても好きなこと自体はできますし、たとえ人が集まらなくても自分の好きなことを発信し続けることも可能です。ですが「求められているけど出来ないこと」や「出来るけど求められていないこと」には自分の価値は生まれず、たとえ好きなことでも収入を得ることはできません。

「出来ること」と「求められること」のうち、自分でコントロール出来るのは「出来ること」です。好きなことを仕事にするために自分で出来ることは「出来ることを増やすこと」だけなのです。「求められること」は自分ではコントロールできず、変わっていくものです。だからこそ好きなことで生きていくためには、出来ることを増やしていく必要があるのです。

出来ることを増やすためには、しんどいことも必要

好きなことで生きていくには出来ることを増やす必要があるのですが、出来ることを増やす過程には「しんどいこと」や「嫌なこと」が存在します。きついトレーニングが必要になったり、長期間の経験や勉強が必要だったり。むしろどれだけ苦労しても出来るようにならないことだってあります。僕、テニス大好きで高校のころから通算15年くらいやってますけど、大会で優勝したこととかありませんしね!でもやっぱりやった分出来ることは増えていて、学生の頃はテニスクラブでコーチをさせてもらうことも出来ました。その頃も出来ないことが多くてしんどいこともありましたけど、その経験自体はすごく楽しかったです。

ただ今の時代の良い点は、出来るようになったという「結果」だけでなく、出来るようになる「過程」も、ストーリーとして「求められること」の1つであり、発信することができるのです。ある商品の誕生秘話のストーリーは商品の価値を高める要素になったり、価値の裏付けになります。名もない人のサクセスストーリーはそれ自体がエンターテインメントになったりもします。

なのでそもそもの「出来ることを増やすため」と「それ自体が求められ、価値を高める可能性がある」という2つの意味で、嫌いなことやしんどいことを経験する必要はあると考えます。今、好きなことで生きている人たちは「嫌なこと」や「しんどいこと」をうまく消化してこの2つのどちらかにしているのです。

しんどいことを止めると「好き」の奴隷になる

出来ることを増やすには、しんどいことや嫌いなことを乗り越えなければいけません。比較的苦労せずに出来てしまうことって誰しも1つや2つは必ずあると思いますし、僕もテニスがそうだったら良かったですけどね。そこはなかなか上手くいかないですよね。そしてやっぱりしんどいことってしんどいし、出来るなら避けたい気持ちもわかる。

だけど出来ることを増やさずに好きなことだけを追い続けると(=好きなことで人を集めることが出来るようにならないと)、結果的に収入には繋がらないので自分の求めている結果にたどり着けません。そうなると「これは自分のやりたいことじゃない」とまた別の好きなことを探そうとしてしまいます。しんどいことは止めて好きなことだけやろうとすると、好きなこと探しから抜け出せず「好き」の奴隷になってしまうのです。

しんどいことも出来るようになると楽しいし
愛着が湧いて好きになることもある

出来ることが増えると、それを求められている人や、求められているところに飛び込めます。相手に求められているものを満たせるので、その対価として収入を得られるかもしれませんし、求められないしんどさからは解放されます。それに加えて相手を満たせたことに対して感謝されたり、自分の成長を感じて自分も満たされたりしますよね。

しんどいものはしんどいし、嫌なものは嫌。わかる。一方で「しんどかったことが出来るようになって、しんどくなくなった」もしくは「出来るようになっても相変わらずしんどさはある。けどなんかそれも含めて愛着が湧いて好きになった」という経験がある人も多いはずです。

しんどさしかないものを諦めるのは「正」

出来るようになってもしんどいことはあるし、そのしんどさが耐えられないものならば、続ける必要はないと思います。しんどさしか感じないものは絶対に選ぶべきでは無いです。そういう時はその「しんどさ」を超えたときに得られるものや出来ることが、自分に必要なものなのかをしっかり考える必要があります。出来るようになった喜びって人から聞いただけじゃ実感うすいけど、出来るようになると初めて爆発的にわかるものだったりするし、あきらめるかどうかは自分が決めるしかない。迷うところだとは思いますが、でもあきらめること自体は全然「正」だと思います。

それは、もっと楽にできることで人から求められる事きっとあるはずだし、好きじゃないけど出来ることであれば、それを「本当に好きなこと」にすることが出来ると僕は考えるからです。

本当に好きなことは接触頻度の多いモノやことから生むことが出来る

「好きなことで生きていく」というメッセージに対して「おっしゃー好きなことで生きていけるようになろう!」と鼻息を荒くする人もいれば、一方で「自分が本当に好きなことって何だろう・・・ないかも・・・」とちょっとシュンとしてしまう人もいるかもしれません。

以下の記事で詳しく書いていますが、「本当に好きなモノやコトって、自分の中に好きなものが最初からあるんじゃなくて接触頻度の多いモノやコトを、ある程度何でも好きになっていくんじゃないか」と僕は考えます。ある程度好きになってからは、もうそれをする時間が長ければ長いほど愛着が湧いて「好き」が深まっていくのかなと。(ちょっとクサめ)

本当に好きなモノ・コトの見つけ方と作り方

ということは「好きなこと」って後天的なものであって、行動して経験を積み重ねたものからしか「本当に好きなもの」は出てこないんだろうなって思います。逆に考えると、今好きじゃないものもめっちゃ好きになることは出来るし、今できることを大事にして「置かれた場所で咲く」ことで好きがたくさん見つかることもあるんだろうなと。

だから今好きなことがない人は自己分析とか、自分探しの旅とかしている場合じゃない。ひたすらのDOあるのみ。PDCAじゃなくて、DDDDDDDCAPくらいであってほしいなって思います。

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

Facebookコメント欄

  • 人気の記事
  • ピックアップ記事
  • カテゴリー一覧
  • 話題のキーワード
Return Top