こんにちは! SIDELINESのMyoon(ミュン)です。
今回はYouTubeコンサルタントの郡司健汰さんを取材してきました!
郡司さんは、YouTubeやクラウドファンディングなどの旬なツールを使って個人や企業の成功をサポートする、ムーバー株式会社の代表取締役でもあります。
コンテンツ
個人から企業まで、最適な方法で夢を叶えたい人をサポート
郡司さんは現在、次のような仕事をされています。
・YouTube動画コンサルタント
・YouTube副業コミュニティ運営:サラリーマンをしているけれどおこづかいを稼ぎたいという人を対象に、動画投稿によって副業収入を得る方法を共有
・YouTuberプロデュース:自身の活動を発信したいアーティストを支援
・クラウドファンディング代行:販売力や量産力に課題を抱えているメーカーのサポート
・ECモール登録代行(クラウドファンディング対象商品)
・各種企画立案
このように、個人から企業までが郡司さんのクライアントになっているんですね。
会社を興す前、YouTuberとして1か月に90万円以上を稼いでいた郡司さん。
そのノウハウを共有するコミュニティでは「2016年に誕生したYouTuber高収入ランキングトップ30」において、コミュニティから3人がランクインしたそうです。(ちなみに1位はピコ太郎だったそう!)
さらに、クラウドファンディング代行でも目標額の1042%を達成! ストールやマフラーなどの巻物の分野で日本一の実績を上げています。
器用に思える郡司さんですが、最初からうまく行っていたわけではありません。
苦しい時期を乗り越えて、YouTubeに活路を見出しました。
商社マンから一転、金なし、家なしのフリーランスに
大学卒業後、繊維商社に就職した郡司さんは、営業補佐として勤務します。お洒落なスーツを着て、会社の寮に住み、給与をもらう生活を送っていました。(商社マンの初任給って低くないですよね。就職先がサービス業だった筆者としてはうらやましい!)
しかし、いくつかの疑問を払拭できず、2年で会社を辞めてしまいます。
疑問のひとつは、自分のしている仕事がアナログで、テクノロジーが発展すれば不要になる仕事ではないかと思ったこと。もうひとつは、喫煙所で同僚たちと話すと愚痴ばかりが出ますが、会社の一員として給料をもらっている以上、文句が言えないのではないかという疑問です。
結果、自分自身でその給料が稼げるか試してみたいと思い、転職ではなくフリーランスになる道を選びました。
地元を離れて会社の寮に住んでいた郡司さんは、会社を辞めると同時に住む家も手放し、友人宅を転々とする生活を始めます。
まずは、地元である宮崎県を若者の力でPRしたいという目標を掲げ、動き始めます。宮崎県のLINEスタンプを作っている方と知り合った郡司さんは、スタンプの営業を代行。何件か成約しましたが、手元に残った売上はわずかでした。
投資に失敗、一文無しに……
そこで目を付けたのは投資です。リスクを恐れない郡司さん。最初こそうまく行くかに思えた投資でしたが、資産はじわじわと目減りしていき、気づけば半年で200万円を失っていました。
当時の口座残高はわずか12円、持ち物はパソコンとWifiルーターだけでした。
「26歳にもなって、本気で自販機の下にお金が落ちていないか探すとは思いもしなかった」と郡司さん。
しかし地元の両親に啖呵を切って会社を辞めた手前、実家に泣きつくことは考えられませんでした。
それでも税金や保険の支払は待ってくれません。
生活に窮した郡司さんは、友人のひとりに相談に行きました。するとその友人から、こう諭されたのでした。
「今、少額のお金を借りても、来月また困るのが目に見えている。消費者金融で40万円を借りて、その元手で頑張ってみろ。それでも駄目だったら、諦めて会社に戻れ。」
郡司さんはその友人の言うとおり、震える手で40万円を借金します。
「これでなんとか出来なかったら自分にはひとりでやっていける才能がない。だからといって会社や実家に戻ることも考えられない。」
文字通り、決死の覚悟で新たなスタートを切りました。
追い詰められて始めたYouTube
そこで始めたのがYouTubeでした。
投資での失敗を踏まえ、一朝一夕で儲かることではなく、積み上げ式で成果が出ることに取り組もうと考えたためです。そこで、借りた40万円の中から費用を投じてYouTtubeコミュニティの門を叩き、学んだ方法を着実に実践していきます。
当時、郡司さんが投稿していたのはテキストスクロール動画です。
テキストスクロール動画とは、再生すると文字が流れる映像ですね。ニュースなどをまとめる動画として、キュレーションチャンネルを運営していました。
結果、初月で3万円、2カ月目で10万円、3カ月目で90万円という収入を達成しました!
その後、自身の経験を生かしてYouTube動画コンサルタントを開始。YouTubeの規制変更や頻繁に更新されるシステムにも対応し、常に最新のノウハウを提供しています。
また、ムーバー株式会社を興し、代表取締役として会社を運営。企業とも取引し、クラウドファンディングを成功に導いています。
郡司さんは語ります。
「YouTubeの成功で学んだことを、クラウドファンディングにも当てはめているだけです。成功のアルゴリズムを掴めば、さまざまなことに応用可能です。」
人生で初めて作成した動画はプレゼントだった
思い返してみれば、郡司さんが人生で初めて作った動画は、お金ではなく人を喜ばせるのが目的でした。
大学4年生で卒業を間近に控えたとき、両親に何かプレゼントしたいという思いが芽生えた郡司さん。しかし、物欲のない両親が喜ぶ物を見つけられず困った郡司さんは、感謝の気持ちを込めた動画を作ったのです。
今でもときどきその動画を見て初心を思い出す。
失敗や困難を乗り越えてたどり着いたYouTuberという選択ですが、実はそのころから、現在への軌跡は続いていたのかもしれませんね。
後編では、郡司さんが掴んだ“成功のアルゴリズム”について伺っていきましょう。
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