学生から即独立して、音楽業界で身を立てた男の話

こんにちは。サイドラインズのOOXです。

いつも突然ですが、みなさんはどんな学生時代を過ごしましたか? 僕は大学に行っていないので、いわゆる高校以降の学生生活というものに縁がなかったのですが、周りの人に同様の質問をすると、ほとんどの人から「友達も増えたし、遊べたし、とっても楽しかった!」という回答が返ってきます(羨ましい……)。

そんな誰もが楽しい? 学生時代ですが、僕の友人に「学校とバイト」ではなく、「学校と副業」を続け、ひいては就職ではなくいきなり独立! という珍しい道を選んだ男がいます。しかも不況と言われている音楽業界で……。

彼の凄いところは何と言っても、「企業に就職をせずに社会人経験無しで身を立ててしまった」ところ。そう。彼は学生からいきなり独立をして、今でも立派に音楽業界の最前線で働いているのです。

今回はそんな彼のちょっと変わった遍歴をレポートします。

学生→即独立を果たした、周作くんのプロフィール

安居周作(やすいしゅうさく)くんは、神奈川県の小田急線沿線に住んでいる24歳。2人の姉と1人の兄を持つ、4人兄弟の末っ子です。職業は音響オペレーターをしています。

高校時代からバンド活動をしていた彼は、そのままプロのアーティストを目指し、地元茨城県の高校を卒業をすると、音楽大学(4年制)に入学。その学生時代に起こるさまざまな出来事をきっかけに、個人事業主として独立する道を歩むことになります。

今回はそんな彼のちょっと破天荒な人生の中でも、「副業にいそしんでいた学生時代」と「独立してから今までのストーリー」にフォーカスして、前編後編の2記事に分けてお伝えしたいと思います。

プレイヤーになりたい。でも理論もしっかり学びたい。だからこそ選んだ音大と言う道

僕も高校時代に少しバンドをかじっていたのですが、僕の周りの友達が楽器のプレイヤーとしてプロを目指す場合、そのほとんどは「専門学校」に進学し、とにかく演奏技術を磨きます。そして同時にバンドを組んだり、高校時代から継続しているバンド活動にいそしみ、学校の合間を縫ってライブをしたりする。そんなライフスタイルが主でした。

でも周作くんが選んだのは音大。バンドでプロを目指してる人の中では少し珍しいタイプの進路です。でもそれにはこんな理由がありました。

「プレイヤーになりたい。でも音楽理論もしっかり学びたい。そしていずれは裏方としても活躍できるようになり、音楽の世界に浸りたい。」

いわゆる若手のバンドマンは、学校卒業後アルバイトをしながら生計を立て、そのお金で生活とバンド活動を両立しています。無事に人気アーティストへの道を歩めればいいのですが、やはりそこは狭き門。

周作くんは18歳にして、「音楽業界で生きる道の裏ルート」も考慮していた訳です。

若いのにしっかりしてますね!

そんな周作くんの地元は茨城県つくば市。

厳格な父親の決断により、地元から神奈川県の大学まで通うことを余儀なくされた周作くんは、自宅から学校まで片道約2時間半かけて通学していました。始発で行っても、8時半から始まる1限の講義には間に合いません。

当時の彼にはそこが大きな不満だったのです。1限講義は「音響理論」。当時の周作くんが最も興味のあった分野であり、音大への進学を選んだ理由そのものでした。

「この講義に間に合わなければ、音大に通う意味がない。」

そんな気持ちと共に、大学に対するやる気もどんどん低下してしまっていました。

竜巻で家が吹っ飛んだら、モヤモヤも吹っ飛んだ

いきなりとんでもない見出しですが、これは本当の話。2012年5月6日茨城県つくば市を竜巻が襲います。そしてその竜巻は彼の自宅を直撃! 当時2階にあった周作くんの部屋は、数々の思い出とともに吹っ飛びました……。

当時の実際の映像がこちら↓↓

ものすごい被害ですね。幸い周作くんのご家族には物損以外の被害はなく、怪我などはなかったそうですが、当時被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

しかし、その竜巻が彼の人生に大きな転機をもたらします。自宅から神奈川県まで通学することを厳命していた父親から、当時神奈川県に在住していた姉の家に引っ越すことをすすめられたのです。

周作くんはドロドロになってしまった私物を可能な限りキャリーバックに詰め込み、神奈川県へと引っ越します。

でも肝心のお姉さんは、素敵なパートナーと同棲中。思春期真っ只中の周作くんは、なんとなくそんな姉の家にお世話になるのが嫌だったのです。

そこで、大学近隣に住む友人の家を転々とするようになった彼は、無事に1限に行われている「音響理論」の講義を受講できるようになります。その結果、やはり「プレーヤーではなく、裏方の仕事がしたい」と思うようになり、遂には音響学科に転科。音響オペレーターになるべく勉強に打ち込みます。

「理論をきちんと勉強すればするほど、その知識を現場で実践してみたくなった」

と語る周作くん。

この時期を境に、彼は「学生をやりながら副業として音響オペレーターをする」というスタイルをスタートさせました。

初心者なのに、現場に1人。慢性的に人不足な音楽業界の裏方

先輩のツテで、現役の音響オペレーターさんを紹介してもらった周作くんは、その人からとある依頼を受けます。その仕事とは、秋葉原で開催されるアイドルのライブのお手伝い。秋葉原でアイドルと聞くと、なんだかとっても香ばしい感じがしますが、彼の最初の現場は小さなライブハウスで行われた、観客動員も多いとは言えない平日のライブでした。

現場に到着した周作くん。先輩オペレーターさんから簡単な手ほどきを受けた彼は、「今日は一生懸命勉強させてもらうぞ!」と意気込みます。

しかしここでまた大きな転機が訪れます。

なんと、その先輩オペレーターさんは、「じゃあ、あとはよろしく!」と言い残して現場を去ってしまったのです。

音響オペレーターという仕事は、楽器の演奏や歌唱など、ステージで音を使って表現する方の想いをミキサーなどの機材を駆使して整える仕事です。なので、どんなに唄や演奏が上手くても、音響オペレーターの腕次第で、お客さんに届ける音が良くも悪くもなるのため、その責任は重大。

初めてのオペレーションで1人。周作くんは「とにかくできることを全力でやってみよう!」と覚悟を決め、初仕事に臨みました。

その結果……

主催のプロモーターからは、とても良い評価を貰い、何より実際にステージに立ってパフォーマンスをしたアイドルからも「すごく歌いやすかった」と言う最大級の賛辞を受けました。

時には勢いに任せてやってみるとことが必要なんですね。

周作くんの知識と勇気が実を結び「好きなことが仕事になった瞬間」です。ちなみにこちらの現場の労働条件は以下の通り。

・勤務時間は朝の10時から夜22時までの12時間

・休憩はほぼなし(1人ですからね)

・報酬は6000円

時給に換算するとたったの「500円」だったそうです。

ただ、その頑張りが功を奏し、当時から5年以上が経過した今でも、そのプロモーターさんからは名指しでオペレーションの指名をいただけているそうですよ。

副業はお金を払って学ぶより、お金を貰って学ぶ方が有意義

普通の学生は、生活費やお小遣いを稼ぐためにアルバイトをします。その際の優先事項はやっぱり時給や働きやすさではないでしょうか?

でも周作くんは違いました。

「どんなに時給が安くても、どんなに仕事の内容がキツくても、好きなことでお金を稼げる感覚が快感だった」

その気持ちこそが、後にプロの音響オペレーターとして独立した彼の原体験となっているのでしょう。

またそれこそがいわゆる「一般的なアルバイト」と「副業」の大きな違いなのだと僕は思います。

初の現場で大成功を納めた周作くん。その評判が広まったのか、それから順調に仕事の依頼を受けるようになります。

「実際に現場に出れば出るほど、大学で学べること以上の知識と経験ができるし、お金までもらえる」

そう考えるようになった周作くんは、だんだんと大学に通う頻度が減り、現場に出る頻度が多くなっていきました。

ライブハウスでは経験を。音楽大学では知識を。それぞれ学べるメリット

ライブハウスなどの現場で音響オペレーターとして働くことが楽しくて仕方がなかった当時の周作くん。それでも2年間は大学生と音響オペレーターの2束のわらじを履き続けました。

その理由は、

「わからないことがあればすぐにでもプロに聞ける環境に身を置いておきたかったから。」

基本的に音響オペレーターは専門技術職なので、担当者は1現場につき1人という環境が普通です。自分が担当した現場で起こったトラブルは自分で処理します。応急処置はするものの、果たしてその対象方法がベストだったのかどうかは謎。

講義にはろくに出ていなかったものの、講師の元へは足しげく通い、毎回「自分の仕事の答え合わせ」をしていました。

気づけば、仕事現場と学校ばかりで、普通の休日が全くと行っていいほどなかった学生時代。それでも彼は笑顔で「楽しかった」と語ります。

この環境こそが彼をプロの音響オペレーターへと急成長させた要因なのです。

そんな彼は遂に大きな決断をして、独立への第一歩を踏み出します。

記事の後編では、周作くんの「独立後からこれまでのエピソード」と、「アマチュアからプロになるための意識」の変化に迫ります。後編はこちら↓

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