こんにちは。サイドラインズのOOXです。これまで「サイドラインズ」にてたくさんの人をインタビューしてきましたが、今回は珍しく、僕のことについて書きたいと思います。
自分のライフスタイルや考え方を改まって文字にするのは少し恥ずかしさもありますが、誰かの参考になれば幸いです。
神奈川在住 子供3人 フリーランス3年目です!
僕は神奈川県に居を構えており、今年生まれたばかりの娘を含めて、子供3人妻1人(あたりまえか…)の5人暮らしです。子供は上から5歳の男の子、2歳と0歳の女の子がいます。
もともと父親がものすごい転勤族だったため、幼稚園2園、小学校3校、中学校2校に通い、高校で生まれて初めて入学式をやった体育館で無事に卒業式を迎えました。
居所も、横浜→東京→横浜→横須賀→横浜→沼津→御殿場→アイルランド(留学)→相模原→大和(現在)と、とにかく引っ越しばかりしていました。
父親は昭和のサラリーマンタイプだったので、仕事命の人。家族は黙って俺について来い! みたいな人だったため、休日に父親とあまり遊んだ記憶はなく、授業参観や運動会に参加してもらった記憶もごく僅かです。その代わり、旅行にはたくさん連れて行ってもらったのですが、子どもとしては親子でキャッチボールとか、釣りとかしたかったですねー。
そんな幼少期を過ごしたこともあり、もし僕に子どもが生まれたら、嫌という程遊んでやろう! と、高校生くらいから心に決めていたことを今でも覚えています。
それだけが直接的な理由ではないものの、長男が生まれたタイミングで育児休暇を取得しました。
当時、僕は大手の化粧品会社でマーケティングを担当してまして、女性の多い職場ということもあり、意外にもすんなりと取得の許可がおりました。男性の正社員としては、社内初でしたがプレッシャーもあまりなく、むしろ上司や同僚も後押ししてくれました。
詳しいいきさつについては取材も受けました↓↓
今思えばとってもいい会社ですよね。ありがたいです。
育児休暇の期間は3ヶ月。息子が5ヵ月〜8ヶ月の時期(だったはず?)でした。
(妻曰く、取るならもっと大変な時期に取って欲しかったと、今になって言われたのは内緒ですw)
育児休暇期間は本当に楽しくて、妻の実家に帰ってのんびりしたり、これからの生活のことを夫婦で考えたり、興味のある分野の勉強をしてみたりと、とても充実していました。
もちろん育児にも積極的に参加しましたよ。もともと13歳下の妹がいたこともあって、赤ちゃんの扱いについては、普通の父親と比べて免疫もありましたので。
地域や地元の保育園の活動にも積極的に参加して、保育園や子育て環境に関する理解も深まりました。
結局はその期間の過ごし方次第かもしれませんが、男性の育児休暇の取得は本当にオススメです。
フリーランスに転身したキッカケ
そんな素晴らしい会社に在籍していたにも関わらず、結果としてその会社は退職。フリーになります。
キッカケは、父親の体調不良と祖父の介護。
実は残念ながらうちの両親は僕の結婚前に熟年離婚をしていました。
なので当時の実家には、体調不良の父親と認知症気味の祖父。その面倒を見るために、大学を卒業したばかりの弟が就職を諦めて、実家に住んでいてくれましたが、その弟も祖父を介護施設に入所させるという大役を果たした後は、母方の実家に移住してしまいました。
それに輪をかけて父親の体調が悪化し、入院。なんとも言い難い状況になってしまったのです。
父親は幸か不幸か1人っ子で、祖母は僕が生まれる前に他界していたので、実家には誰もおらず、病気の父親は入院。老人ホームには介護が必要な祖父が取り残されることに……。
「さすがに黙って見てはいられないし、これまで弟に全てを押し付けていたのに、自分ばかり幸せを噛み締めている場合ではない!」 と一念発起し、会社を休職。育児休暇に続いて「介護休暇」という制度を利用することになりました。
日本の社会保険のシステムは凄いですね。ありがたやありがたや。
しかし、わずか3ヶ月の介護休暇期間では、全て解決せず、僕の体調も次第に悪化し、そのまま休職を延長することになります。この期間は筆舌に尽くし難いほど壮絶なので、割愛しますが、興味のある方は直接聞いてくださいね。今なら笑って話せます(笑)
会社の休職期間も限界を迎え、1度は復帰を試みるものの、あえなく失敗。
当時の僕の心と身体はいっぱいいっぱいだったのでしょう……。
当時の同僚や上司には本当にご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫びします。すみませんでした。
傷病期間も満期が迫ったその時期。確か2014年の年末だったかな?
友人からの連絡がきっかけで、僕はフリーランスとして社会復帰をすることになります。
ボードゲームとの再会とお店の開業
その友人からのオファーはお店をやってみないか? というお誘いでした。
そのお店とは、静岡県御殿場市にある「ボードゲームバー」でした。
僕は高校時代と新社会人の数年間、この静岡県御殿場市で過ごしていましたので、とても愛着のある土地でしたが、自宅は変わらず神奈川県。
実は長男が生まれるちょうど1年前に35年のローンを組み、神奈川県の郊外に一軒家を購入したばかりでした。実家のゴタゴタや自分の体調不良、そして父親であるという責任感も相まって、本気で自宅を手放そうと考えていた時期でもありました。
まさに「職なし、金なし、家族あり、ローンあり。」という最悪な状況だったのですが、なんとお店をやることに対しての回答はYES。
最後の頼みの綱である貯金をはたき、お店のオーナーとして店舗運営をすることになりました。
当時その友人が経営していたお店はボードゲームバーと呼ばれる、おそらく静岡県内では唯一のお店で、その友人は県内で3店舗を展開。
そのうち1店舗を僕に譲りたいと持ちかけてくれたのです。
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