会社員ときどき拳骨パンチ。副業でエンターテイナーを務める地域思いのお父さん Part1

サイドラインズ 副業 復業 拳骨パンチ 田子ノ浦ロック

こんにちは。
サイドラインズのエンターテイメント担当ライター(自称)OOXです。

僕は普段ライター業をする傍ら、静岡県富士宮市という「焼きそば」で有名な街で、ライブハウスを経営しています。そんなこともあって、個性的で魅力的なアーティストとご縁をいただく機会に非常に多く恵まれます。このサイドラインズでも、そんな愛すべき静岡県のアーティストを何人かご紹介させていただいたのもその関連からなのです。

そして、ついに今回……。

僕の知り合いの中でも特に尊敬すべき。そして心から大好きと言える偉大な大先輩をご紹介したいと思います。

その名も「拳骨パンチ」のVo&G(ボーカル&ギター)「Dragon -AGI-(ドラゴンアギ)」。

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メガネとハットの似合う陽気なおじさん

名前だけ聞くと、格闘家? という疑問が浮かんできそうですが、全く違います。

あえて言わせてもらいます。彼は「アイドル」なのです。

男性アイドルといえば、某事務所のアイドル集団が、いの1番に浮かぶかと思いますが、言うなれば彼は「ローカルアイドル」なのです。

時には会社員。時にはシンガー。時にはギタリスト。時にはきこり。時にはプレゼンター。時にはラジオDJ。しかして、その実態は「お父さん」なのです。

ここまで読んでいただいて「?」がたくさん生まれてしまったことでしょう。
乱文になってしまってすみません。

でも、この先もこれまでも。一切のフィクションなしでお届けします。

ではご紹介します。鈴木章生さんです!!(ここで本名 笑)

鈴木さんのプロフィール

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ギターを弾いているのが鈴木さん

鈴木章生さんは、静岡県富士市に住んでいます。鈴木さんが住む富士市を語る上でのキーワードは、「富士山」「製紙工場」「田子の浦漁港」です。

富士市はその名の通り、日本一の山「富士山」の名前を冠していますが、工業地帯としても有名で、豊富な水資源、原料である木材の供給地や製品の消費地への近接などを背景に、明治期以降の近代製紙産業が集積し、全国有数の「紙のまち」として発展してきました。特に、衛生用紙(トイレットペーパー、ティシュなどの家庭紙)については、国内屈指のシェアを誇っています。

また、富士と聞くとその名前からどうしても山間の町というイメージを持たれがちなのですが、海にも面しており「田子の浦漁港」という「しらす」の漁獲量が日本一の港もあります。

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絶景の田子の浦港

海もあって山もある。そしてそのどちらも日本一。こんな環境で育ったら、さぞ凄い人になれそうな気がしませんか?

その点はご心配なく。これから紹介する鈴木さんもとっても凄い人なんです。

さて、前置きが長くなりましたが、鈴木さんは本に携わる仕事をしているサラリーマン。
学生時代に好きだった「音楽、乗り物、本」の中から3番目に好きだった本に関わる事を仕事ととして選択したそうです。

奥様と中学3年生。小学4年生の息子を持つお父さんです。
今ハマっていることは「理想のギター作り」「クラシックカー」「アンモナイト」だそうです。
ここまでは、ごく普通のお父さんですね(アンモナイト以外はw)

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趣味の旧車(クラシックカー)のイベントにて

ただ、地元で彼のことを「鈴木さん」と呼ぶ人を見たことがありません。

彼は地元を始めほとんどの人に「Dragon -AGI-(ドラゴンアギ)」通称ドラゴン と呼ばれています。

それは、彼が魂を込めて活動するロックバンド「拳骨パンチ」のステージネームであり、もはや彼の本名を超える代名詞となっています。

田子の浦ロックバンド「拳骨パンチ」

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田子の浦ロックバンド拳骨パンチのステージ

先ほどから度々出てきているキーワード「拳骨パンチ」まずはこれについて説明しましょう。

鈴木さんは、富士市でも海側のエリアにお住まいで「田子の浦漁港」が父親の職場でもあり、ご自身の遊び場でもありました。

そしてご自身の前職も漁師という生粋の海っ子なのです。
鈴木さんの父親は、漁師の中でも網元と呼ばれる立場で、ご自身の漁船を持っていました。

もちろん狙いは漁獲量日本一を誇る「しらす」。
当時の鈴木さんにとって、父親は眩しくも絶対的な存在で、本人曰く「自慢の父親」だったそうです。

そしてそんな父親の職場でもあり、富士市の誇りでもある「田子の浦漁港」は鈴木さんを語る上で避けることのできないメモリアルスポットなのです。

しかしそんな田子の浦漁港は時代と共に衰退していってしまいます。

漁港が衰退してしまうとどうなるのか? 想像つきますか??

漁港は退廃し、海は汚れ、人がいなくなる。最後はそのあまりの汚さから「ヘドロの港」と呼ばれるまでになってしまったそうです。
鈴木さん情報によると、あの有名な怪獣映画「ゴジラ VS ヘドラ」の撮影の舞台にもなるほどの汚れっぷりだったとか。

「自分を育ててくれて、心から愛している田子の浦漁港が、マイナスなイメージとして世の中で有名になってしまった。果たしてそれでいいのか??」
そんな危機感を持った鈴木さんは、「自分の故郷のイメージを再度良いものにしよう! マイナスなイメージを払拭しよう! そして恩返しをしよう! 」と決意します。

しかし彼のアプローチはちょっと普通の人とは違いました。

田子の浦漁港を掃除する! のではなく。
地元の漁業組合に働きかける! のでもなく。
農林水産大臣に手紙を送る! のでもなく……

なんと「田子の浦ロックバンド 拳骨パンチ」を結成したのです。

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拳骨パンチの大舞台!

バンド名に地元の名前を冠し、当時彼がもっとも得意としていた「ロック」という表現を通じて、
地域貢献をしようという決断は、この後もそして今もなんと20年続くことになります。

今明かされる「田子の浦ロックバンド 拳骨パンチ」の誕生秘話の序章

 

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普段は気のいいお父さん

いきなり余談ですが、実は鈴木さん。以前に僕が取材させていただいた「DJ U-1」さんとは幼稚園からの幼馴染で、お互い一緒に中学校2年生でギターをスタート。

当時はBOWYなどの有名アーティストの楽曲を必死に練習し、切磋琢磨していたそうです。

DJ U-1さんの記事はこちら↓↓

好きなことを副業として続けた結果、僕はクラブのオーナーになりました

副業のDJ活動を本業にするための鍵は「イベントプロデュース」

この方も僕にとっては偉大な大先輩です。ぜひご一読を!!

「中学時代はバンド仲間ばかりつるんでいた。」と語る鈴木さん。
同級生とバンドを組み、必死に練習をして、音楽仲間と音楽の話を楽しむ日々。

青春ですねー。僕もバンドマン(自称)だったのでわかります。こういう時って時間がいくらあっても足りないんですよね……(悦)

あ、もちろんこの時はまだ「拳骨パンチ」はなく、「Dragon -agi-(ドラゴンアギ)」でもなかったそうです。

そんな鈴木さんが、どのようにドラゴンへと進化していったのか?

それはある1軒のアダルトビデオ店がきっかけでした。

そう「アダルトビデオ店」。

ん? これなんの取材??

この続きは「Part2」の記事で↓↓

タイガー・ドラゴン・レフェリー。副業でも精力的に活動する3人が織りなすエンターテイメント Part2

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