富士山の麓で育ったフツーの女の子が「複業女子」になるまで【歌と光編】

子どもの頃、どんな夢を見ていましたか? パイロット、ケーキ屋さん、歌手、お嫁さん……。誰しも、何かしらの夢を抱いた経験があるかと思います。
ちなみに筆者は、小学生の頃は小説家、中学生の頃は音楽ライター。「もの書き」という意味では、なんだかんだ叶ってるじゃん、自分。

富士宮にも、幼い頃に夢を抱いた女性がいました。その夢とは、「服飾デザイナーになること」。
彼女は、夢を叶えました。「ミシンガー ライティング ファーマー」として。……いや、服飾デザイナーはどこへ行った? というより、なんかいろいろ増えてない?

というわけで、今回は異色の複業女子・平野有紀さんに、「ミシンガー ライティング ファーマー」とは何なのか、どのような経緯で誕生したのかを伺いました。

服飾デザイナーを夢見た少女は美容師を経てギターを手にした

ミシン画像

子どもの頃の夢は服飾デザイナー

幼い頃から、ミシンで縫い物をするのが好きだった平野さん。小学校4年生の頃には、既に「服飾デザイナー」という夢を抱いていたそうです。

子どもの頃、お人形さん遊びをしたことはありませんか?

平野さん

たくの

あります!
そのお人形さんのお洋服を作りたいと思ったんです。かわいいドレスとか着せたくて

平野さん

たくの

さすが、女子ですね

同じ女子のはずの宅野、お人形さんのお洋服を作るほどのスキルはありませんでした……。

たくの

それで、服飾デザイナーを目指したんですね?
本当はそうしたかったんですけど……。ちょっと難しくて、高校を卒業してからすぐに就職したんです

平野さん

まあ、そんなこともあります。私自身、文章でお金をいただくライターになれたのは30代に入ってからですし。

たくの

何のお仕事をなさっていたんですか?
美容師です。お仕事をしながら美容師の免許を取って

平野さん

たくの

へー
でも、約8年ほどで辞めました

平野さん

たくの

あら
仕事は楽しかったんですけど……。人間関係でちょっと上手くいかなくて

平野さん

これは「あるある」ですね。私も同じ経験があります。どんなに楽しい仕事でも、人間関係で上手くいかなくなると、途端に嫌いな仕事になってしまうんですよね。いやー、分かります。

それで、美容師を辞めて

平野さん

たくの

はい
ギターを始めたんです

平野さん

……なんで!?

ギターと出合い、音楽の道へ

ギター画像

突然のギターとの出合いで音楽の道へ

美容師を辞めた平野さんが次に始めたのはギターでした。と言いつつも、なぜギターなのでしょうか。

たくの

それにしても、突然ギターが出てきましたが、弾いたことはあったんですか?
いえ、全然

平野さん

そうだとしたら、なおさら、なんでギター?

美容師を辞めたその日、道を歩いていたらギター屋さんがあったんです

平野さん

たくの

はい
「これだ!」って思って

平野さん

たくの

おお……
ギターを買ったんです

平野さん

理屈じゃない、本能。考えるんじゃない、感じろ。これが「インスピレーション」というものなのかしら……。

それで、当時好きだったJUDY AND MARYの曲をカバーしようとしたんです

平野さん

たくの

おお、JAM!(世代や!)
でも、初心者には難しくて(笑)。「弾けるか!」ってなって、少ないコードで弾ける簡単な曲から練習を始めました

平野さん

うん、いきなりJUDY AND MARYはハードルが高い気はします(汗)。といっても平野さん、ものすごい行動力です。それにしても、いくら簡単な曲とはいえ、どのようにして練習したのでしょうか。

たくの

練習は、もちろん独学なんですよね? その、音楽の授業で習うような「楽典」的なことは一切学んでないわけですよね
そうですね。最初は本屋さんに売っている初心者向けのギター教本で勉強しました。それで、ご縁あってAERAの志村さんが運営するスタジオに出入りするようになったんです

平野さん

>>AERA・志村さんについてはこちら

教本だけで勉強するのも大変だし、スタジオに入った方が練習に集中できそうですよね。

たくの

スタジオではどういう感じで練習していたんですか?
実際にギターを弾いている人たちの“手”を見て学びました

平野さん

たくの

“手”を見る!? “教えてもらう”じゃなくて?
そうですね。それで、弾き方を覚えた感じです

平野さん

平野さん、実はすごい能力の持ち主なのでは……?

父を亡くしたツラさを歌に

歌う平野さん画像

ギターで弾き語りをする平野さん

実は平野さん、美容師時代の後期に突然お父さまを亡くしていました。

身近な家族を亡くした現実から、平野さんは気持ちの吐き出し方が分からなくなっていました。当時、人間不信にもなっており、本音で人と話せなかった平野さん。

そんな彼女を救ったのは、ギターでした。

ツラい時にギターを触っていたら、いきなり“言葉”が出てきたんです

平野さん

たくの

言葉?
はい。その時に感じていた気持ちをギターの音とともに、言葉として吐き出すことができたんです

平野さん

たくの

メロディに乗って言葉が出てくる……みたいなイメージですよね
そうですね。それで、『メモリー』という楽曲ができたんです

平野さん

ん? ちょっと待って?

たくの

あれ、作曲経験は……?
なかったです

平野さん

たくの

じゃあ、鼻歌でメロディを録音か何かして作ったわけですか?
そうですね……。でも、簡単なギターコードは覚えていたので。細かいところは周りに修正していただきましたが、自分の知っているコードの範囲内で作ったと思います

平野さん

やっぱり、ただ者ではないですよ、平野さん。

たくの

それで、ギターだけじゃなくて歌も始めたわけですね
そうなんです

平野さん

たくの

平野さんにとって、歌って何なのでしょう? 仕事……になるんですか?
うーん、仕事というよりは……私自身?

平野さん

たくの

私自身?
自分を表現して残すもの、ですね

平野さん

その発想、まさにアーティストですよ!

歌の世界を魅せるために光を学ぶ

照明の画像

平野さんが参加するチームが演出した照明

アーティスト・平野有紀を象徴するエピソードは、まだあります。

自分の音楽の世界を完成させるために、照明を学んだんです

平野さん

たくの

あ、歌のスキルを磨くとかではなく?
はい、照明です。照明デザイナーに弟子入りして、「オーバーヘッドプロジェクタ(OHP)」を学びました

平野さん

OHPとは、透明のシートに文字やイラストを描き、光を使ってスクリーンに映し出す技術のことです。

師匠の所属する照明チームを手伝いながら、機材の使い方や技術を勉強したんです

平野さん

たくの

もちろん、照明の経験はなかったんですよね
はい。師匠や周りの手つきを見ながら覚えました

平野さん

たくの

「見て覚える」のが得意なんですね
そうかもしれませんね(笑)。美容師を経験していたからか、周りから技術を“盗む”ことに慣れてしまったのかも

平野さん

歌を表現するために照明を一から学ぼうとする気持ちと、しっかり行動に移せる平野さんがスゴすぎます……。

たくの

今でも、照明のお仕事はなさっているわけですよね
はい! ライブハウスで照明の演出をしたりもしていますよ

平野さん

なるほど。

たくの

照明を学んでいる間は、そこでお金も稼いでいたのですか?
いえ、当時は派遣で働いていました

平野さん

たくの

あ、そうなんですね
その頃、祖父が亡くなって、畑を継ぐことになったんです

平野さん

……え!? ギターに、歌に、照明、これだけでも十分なのに、まだ何かあるの?
というわけで、平野さんのお話は後編へ続きます。

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