インド企業で体感した自分が輝く場所の見つけ方~踊らにゃ損々の文化~

こんにちは! SIDELINESの踊るライター、Myoon(ミュン)です。

椎茸祭を旗揚げした竹村賢人さん。

以下の前編では椎茸に目覚めたきっかけから世界へ向ける目線までを語っていただきました。

旨みで世界平和!? 元チームラボ社員が仕掛ける椎茸祭

竹村さんは独立される以前に、インドでプログラマーとして勤務した経験があります。その後、日本でチームラボ株式会社に入社したというユニークな経歴。

これら2つの勤務先には実は共通点があります。

「同じアホなら踊らにゃ損々」というマインドです。

 

後編では、竹村さんが体感したインド人の働き方を紹介しながら、モヤモヤを抱える人々が自分の道を切り開くためのヒントを探っていきます。

 

日本の学校や会社のルールには馴染めず評価されなかった

 

今をときめく企業に勤め、自分のやりたいユニークな事業で独立。

まぶしい経歴に見える竹村さんですが「日本の決まった基準ではうまく生きられなかった」と語ります。

 

小学校の時のエピソードは竹村さんのそんな一面をよく表しています。ある朝、学校に着いた直後に上履きを持ってくるのを忘れたことに気がついた竹村少年。誰にも伝えずに学校を抜け出し一度帰宅し、上履きを持って再び登校しました。何事もなかったかのように復帰した竹村さんは、心配させたと教師に激怒されましたが、なぜ怒られるのか全くわからなかったと言います。

 

また、新卒社会人として入社した企業での、新入社員研修のエピソードも強烈です。学生と社会人の違いについて担当指導員から質問を投げかけられた竹村さんは、首から下げたネームカードを指して「首輪を付けているかいないかの違いです。自由を失いますがその対価でお金をもらっています」と答えました。「就業時にチャイムが鳴った時にはうんざりしてしまいました。学校と一緒じゃないかと思いましたね。」と竹村さん。

 

どこへ行ってもよく怒られたし、同期に比べて自分が優秀だと感じることは全くなかったそう。会社ではあまり役に立てず、有意義に過ごせなかったと振り返ります。

 

そんな竹村さんの転機は2011年3月に起きた震災でした。

 

震災を機に辞表を提出、遺書を書いてインドへ

 

震災が起きた当時、仙台で勤めていた竹村さん。

現地に入ってくる情報は十分ではない中、原発に関する不安な噂が流れ始めます。

 

「このまま死んでも悔いがないか? そう考えたとき、めちゃめちゃ悔いがありました。」

 

そんな思いに突き動かされた竹村さんは、交通機関がまだ十分に復旧していない中、陸路を経由して東京まで移動。コンビニで紙と封筒を買って辞表を書き、その足で会社に辞表を出したのでした。

 

突然の退職だったため、もちろん転職先など決まっていません。当時23歳の竹村さんには、逃げ場も誇れるようなスキルもありませんでした。

 

竹村さんは英語とプログラミングの勉強をしようと海外の就職先を探し始めます。当時は景気のいい国としてBRICsが挙がっていたことに注目し、インドの企業に就職口を求めました。書類審査や英語での電話面接などを通じて、見事就職先を見つけた竹村さん。

待遇や条件などを全く聞かずに決めた就職でした。

この時はまだ英語もプログラミングも全くできない状態だったそうですから、その勇気に驚きます!

(電話面接の相手は日本語が話せるインド人だったそうです。)

 

一人で言葉も通じない海外に行くのは誰だって不安なものです。

 

自分に懸けられるものは命しかない。

そう思い詰めた竹村さんは、遺書を書いて日本を後にしました。

 

「遺書ってポジティブなことしか書けないものですね。周りの人たちへの感謝の言葉、それから遺体は日本まで送ると高いからガンジス川に流してくれ、そんなことを書きました。」

 

新天地インドでの働き方は日本とは全く違うものでした。

 

インド人の労働はチャイで始まりダンスで終わる

 

インドでの竹村さんの給与は約8万円ほど。現地の人たちと大きく変わらない給与水準でした。

 

英語もプログラミングもできない不思議な日本人青年の登場に、最初はインド人の同僚も戸惑います。そんな中、竹村さんはニコニコしながら掃除をする、てきぱき先回りして動く、毎朝決まった時間にちゃんと出社することを地道に続けました。

現地のマラーティー語を話すインド映画の俳優の真似をしたり、チャイ売りの真似をしながらチャイを売ることも。

そんな竹村さんは、次第に同僚たちに愛されるようになります。

そうして仲良くなった同僚が、仕事の合間にプログラミングを教えてくれるようになりました。

 

インドでのワークスタイルは次のようでした。

 

9時 出社

10時 チャイタイム(お茶をしたりお喋りをしたり。時間は特に定められておらず、なかなか戻ってこない人も多数。)

12時~13時 ランチ、昼寝

15時 チャイタイム

17時半 終業、ダンス講師が来社しダンスミュージックが流れる

 

そう、終業時にはダンスミュージックが流れ始め、流行のインド映画の振り付けを習い、踊って解散するのです(!)

 

チャイに始まり、ダンスで終わる。

なんて楽しそうなんでしょう。

帰国後、竹村さんはチームラボ株式会社に就職しましたが、ここでも踊りが付いてきます。

実はチームラボの代表の猪子さんは徳島出身。職場のメンバーで阿波踊りを踊ることも年中行事のひとつなのだそうです。

 

チームラボでの成長を経てさらなるステップアップを目指す竹村さんは会社を退職し、自身で椎茸祭を立ち上げるに至りました。

 

イケてないと思うなら環境を変えたほうがいい

 

竹村さんの行動は無鉄砲にも見えますが、景気のいい場所、自分を発揮できる場所を目指して思い切って環境を変えてきた結果です。

 

竹村さんは語ります。

「自分がイケてないのは自分のせいか? 環境のせいだと思います。例えば英語をマスターしたいなら、日本で努力するより海外に行ったほうが早いですよね。自分の責任にしたがる人が多いですが、実際には他責も多いはずです。環境を変えれてみれば分かることです。自分に日の当たるところにいたほうがいいですよ。」

 

ジメジメした場所に生えるイメージの菌類ですが、実は椎茸だって日の光が必要だそうです。

人間だって日に当たらないと育たない。

どうせやるなら褒められる環境で戦ったほうがいい! ということですね。

 

現在は一人で椎茸を祭っている竹村さんですが、2018年はメンバーを増やす予定だそうです。

11月22日の創業時には関係者の家族も招いて「椎茸祭」を開催するんだとか!

 

その時は筆者も駆けつけて、是非踊らせていただきたいと思います。

椎茸も椎茸祭も、ぐんぐん育っていきますように!

 

椎茸栽培キットについてのより詳しい情報やご購入は下記サイトから可能です。

椎茸祭ホームページ⇒http://www.shiitake-matsuri.com/

「しいたけハウス」(Amazon)⇒https://www.shiitake-matsuri.com/blog/5bcb064a20b?categoryId=25608

 

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