卒論で「副業」を提案し却下された元学生のフリーランス的な生き方

こんにちは!サイドラインズのランボーです。

突然ですが、皆さんには「諦めきれない夢」はありますか?

「まさにいま夢に向かって進んでいるところ」、「そんな夢なんかとっくに捨てたよ」などいろいろな声が聞こえてきます。

今回紹介する方は、音楽への道を進むためにありとあらゆるアプローチで夢に進んでいる、とあるフリーランスライター、イベント仕掛人のお話です。

音楽をやり続けるために試行錯誤の人生

俵谷龍佑さんは、Webライター/イベントオーガナイザー/ブロガー/雑草茶専門家と、複数の肩書をもつフリーランスです。

Webライターを中心に稼ぎ、自ら立ち上げた社会人音楽イベントコミュニティである「社会人音楽サークル ミュージッククラウド | 音楽好き、フェス好きが集まるイベントコミュニティ」のイベントを月に複数回開催。

また最近はライターのお仕事をキッカケに興味を持った「雑草茶」にハマり、試飲会を開催。

ライターと音楽イベント、そして雑草茶。どれもあまり関係がないような感じがしますが、すべての活動には意味があり、すべて音楽への道を進むために必要なことだと言います。

そんな俵谷さんの精力的な活動は、学生時代から始まっていたのです。

最初の副業は学生時代のイベント運営

俵谷さんはいまでこそフリーランス的な働き方をしていますが、学生時代からすでに「自ら稼ぐ」考え方が身についていたといいます。

学生時代に稼ぐといったら、家庭教師や飲食店などのバイトが考えつきますが、俵谷さんが目をつけたのは「新歓コンパ」などのイベント運営でした。

2,000〜3,000円くらいの会費を取り、それよりも安くて満足度が高いお店を徹底的に調査。幹事の分を引いてもイベント運営費くらいは残るように、絶対に黒字にするように意識してイベントを回していたそうです。

大学には数々のサークルがあるので、俵谷さんはいろいろなサークルの飲み会の幹事を任されるようになります。「絶対に黒字にする」その考え方とイベント運営のノウハウが今の音楽イベント運営に活かされています。

ちなみに、ミュージッククラウドは2016年3月の立ち上げから毎月欠かさずイベントをやっているのですが、イベント単体での赤字はナシ。スタートから2年のいまはすっかりイベントの運営費だけで回るようになったとのことです。

卒業制作で「副業」を提案するも却下される

大学卒業後に、Webのお仕事がしたく、専門学校へ。そこで、卒業制作がありました。Web広告の学科でしたが、なぜか雑誌を作る卒業制作。

そこで、副業について取り上げようと考えた俵谷さん。いまから6年前のことですが、まだ副業について世間の理解がありませんでした。

先生には「夢がない。もっと学生らしいテーマにしなさい」と言われ、俵谷さんの考え方はまったく理解されませんでした。

今でこそ副業/複業が注目され、一社に依存する働き方はリスクと言われるようになりました。少しずつですが。そんな副業に学生時代から着目していた俵谷さんは、先見の明があったといえます。そして、周りに流されない考え方をしていたようです。

結局俵谷さんは卒業まで半年を残していましたが、さっさと働いた方がマシと判断し、1年半在籍した専門学校を中退します。

どれだけロックなのか。

インターンでの最初のお仕事は成功者へのインタビュー

専門学校を辞めたあと、シェアハウスの管理人をしつつ(すぐに辞めたそうですが)インターンで働き始めます。

お仕事は「ほかに例がない事業を運営している社長や経営者にインタビューして記事を書く」というものでした。そうなんです。普通はある程度実績がないとインタビューできないような、各業界のトガッた人にインタビューができるお仕事。そこで、図らずしもライターとしての実績を積みます。

また、そのインターンは出社義務がなかったので、最初の社会人生活からすでに現在のフリーランスっぽい働き方をしていました。

そして1回目のフリーランス生活へ……

インターンが終わり、俵谷さんはそのままフリーランスへ。ここは1回目のフリーランス生活でした。

デザインを選考していたので、主なお仕事は「名刺作り」、「ライティング」でした。また、学生向けに就活イベントをやったり、表参道で朝活イベントをやったりと、やはり精力的に活動します。

様々な活動をしていても、フリーランスは安定しないのでだんだんと不安が出てきます。

調子がわるくなると納品が遅れ、さらに精神的に参り、仕事が手につかなくなる………。

1回目のフリーランス生活の先に待っていたのは、精神の体調不良でした。

鬱を救ったのは時給900円のWebマーケのバイト

布団から出られなくなってしまった俵谷さん。いよいよお金もなくなり、不安な状態で過ごしていると、ある友だちから連絡があります。

「うちのWebマーケの仕事、忙しいからバイトに来てよ」と。

そのバイトは時給900円といわゆるオイシイバイトではありませんでしたが、お金の不安で精神を病んでいたので、「定期収入の安心感があると働きに出られた」といいます。

入った先は広告代理店で、10人ほどのベンチャー企業。社長は若くして事業を売却し、新しい事業にチャレンジしているやり手の方で、毎日が刺激的でとても勉強になったと言います。このバイト先でWebマーケの仕事を基礎から勉強しました。

安定してくると、そろそろ就職しておくか。と考えるようになります。

以下の後編に続く。

音楽の道で飯は食えるの?イベントを仕掛け続けるフリーライターの生存政略

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